愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

私のこと。

昨日の夜、

中山七里の『魔女は甦る』

を読んでいて、

犬の残酷なシーンが書かれていて、

そこから先は読めなくなってしまった。

 

そのことが、続くわけではなく、

ほんの少しの描写で、

すぐに次のシーンに移るのに、

もう、読めなかった。

 

寝ようと思って、

お布団に入った。

昔のことを思いだしてしまった。

ここ40年以上、

時々思い出しては辛くなる繰り返し。

 

高校生の時、

バスで通学していて、

バスを降りたら、国道に犬が横たわっていた。

一瞬、固まってしまった。

バスを降りたのはおそらく20人くらいはいたかもしれない。

殆どが同じ高校の生徒たち。

その中の下級生の男の子が、

倒れている犬を何人かで運んでくれた。

私は何もできなかった。

 

そのまま学校に行って、

授業が始まった。

私は、涙が止まらなかった。一緒に目撃した友人たちは

みんな、何事もなかったように、

授業を受けていた。

私は、

あんなことがあった後に、

どうしてみんなは何事もなかったように、笑ったり、話したり出来るのだろう。

と思った。

でも、

彼女たちにとっては、

私の様子の方が不思議だったようで、

『かなちゃんは、犬を飼っているから。』

『自分のところの犬のように思ったんだね。』

と口々に言ってくれた。

 

そうかもしれないが、

ちょっと違う気がした。

 

あんなことがあったのに、

すぐに忘れてしまえる人や、

辛い気持ちにならない人も

居るのだ。って

その時に初めて知った。

 

私は、40年以上経った今になっても、

あの時のことを思いだすと、

胸が締め付けられるように、

苦しくなる。

 

だから、辛いことを見に行くことはしない。

だから、無力であることも知っている。

何かの力になることも

出来ないでいる。

 

もどかしいけれど、

仕方がないと思う。