愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

今の気持ち。

今年は、コロナコロナの一年でした。

私にとっては、12月8日に母が亡くなったという

寂しく悲しい年になりました。

コロナのせいで、2月17日に面会に行ったっきり

11月20日まで会えませんでした。

誰のせいでもない。誰も悪くない。仕方のないことでした。

 

でも、一度も会えないままのお別れは、

絶対にしたくありませんでした。

そして、看取りケアになって、個室にかわって

5分の面会が許されました。

でも、看取りの段階に、確実に入ったという事。

もう回復の見込みは

ないということ。

 

悲しかった。

思い出すのは、全て子供の頃の事。

いつも、何処へ行くのも、

母について行った。

 

思えば、わがままばかり言っていた。

母は、私を産んで、幸せだっただろうか。

 

母を亡くすということは、親を亡くすということは、

いくつになっても悲しいこと。

後悔ばかりが残る。

 

優しくしなくてごめんね。

怒ってしまってごめんね。

 

一番の味方を失くしてしまった。

そういうことなのだと思う。

無償の愛で、守ってくれた、

愛してくれた。

その存在を失ってしまった。

 

もう会えない。

語りかけても、

答えてくれない。

悲しい。

寂しい。