愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

歩いた大晦日。

雪が降る降ると言っていたら、

本当に結構降りました。

朝、散歩に行ったら、

ワンコがずぼっずぼっと足が埋もれるくらいです。

私は、長靴から雪が入りそうなくらい。

雪かきのスコップを持っていないけれど、どうにかなると思っていましたが、

どうにもなりませんでした。

車が、出せません。

仕方なく、歩いて仕事に行きました。

約3キロです。

雪道は、歩きにくくて、

ハンパなく疲れました。

53分かかりました。

仕事前からヘロヘロです。

こんな日は、

お客さん来ないだろうと思っていたら、

甘かったです。

駐車場はいっぱいでした。

レジも混んで大変でした。

 

夜8時にやっと仕事が終わって、

また、歩いて帰りました。

もちろん、タクシーや、バスと言う選択も

あるのです。

でも、歩けない距離ではないので、

歩きました。

帰りも約50分かかりました。

9時に着きました。

帰ってすぐにワンコの散歩です。

朝うんちをしなかったので、

夜にはしてもらわないと心配です。

柴犬にはこだわりがあるので、

雪に惑わされてなかなか致してくれません。

それでも、やっと済ませて、

帰りました。

考えたら、今日は大晦日です。

きっと、皆さん、

紅白とかを観ている時間です。

 

私は、何をしているのだろうと、

思わないでもないですが、

これが私の選んだ人生です。

散歩から帰って先にお風呂に入って、

すき焼きを作りました。

美味しかったです。

ワンコにも、

特製のごはんをやりました。

明日は来年です。

 

たまたま明日は休みです。

ワンコとゆっくりしようと思います。

 

 

今の気持ち。

今年は、コロナコロナの一年でした。

私にとっては、12月8日に母が亡くなったという

寂しく悲しい年になりました。

コロナのせいで、2月17日に面会に行ったっきり

11月20日まで会えませんでした。

誰のせいでもない。誰も悪くない。仕方のないことでした。

 

でも、一度も会えないままのお別れは、

絶対にしたくありませんでした。

そして、看取りケアになって、個室にかわって

5分の面会が許されました。

でも、看取りの段階に、確実に入ったという事。

もう回復の見込みは

ないということ。

 

悲しかった。

思い出すのは、全て子供の頃の事。

いつも、何処へ行くのも、

母について行った。

 

思えば、わがままばかり言っていた。

母は、私を産んで、幸せだっただろうか。

 

母を亡くすということは、親を亡くすということは、

いくつになっても悲しいこと。

後悔ばかりが残る。

 

優しくしなくてごめんね。

怒ってしまってごめんね。

 

一番の味方を失くしてしまった。

そういうことなのだと思う。

無償の愛で、守ってくれた、

愛してくれた。

その存在を失ってしまった。

 

もう会えない。

語りかけても、

答えてくれない。

悲しい。

寂しい。

 

 

 

潮風の吹く町。

なかにし礼さんが、逝ってしまわれた。

とても素敵な人だったと思う。

昭和が遠くなる。

なかにしさんは、沢山の作品を残されたけれど、

私が一番に浮かんだのは、

森田由美恵のデビュー曲の

『潮風の吹く町』

森田由美恵さんは確か私と同年代で、

とてもとても歌が上手かった。

アイドル全盛期で、あまり目立たなかったけれど、

その後の曲も何曲か憶えている。

『潮風の吹く町』

『あたしの初恋』

『はんぶん大人になったのね』

の3曲は今でも歌える。

 

でも、ずっと憶えていたわけではなく、

遠い昔に忘れていた。

思い出したのは、

20年位前になるだろうか、

夫と車に乗っている時、

ラジオから流れてきた。

突然、流れて来て、

懐かしくて、懐かしくて仕方がなかった。

でも、誰の曲か

思い出せなかった。

その時は、なんとなく、

牧村三枝子のような気がして、

納得しようとしたけれど、

納得できなかった。

今なら、検索すればすぐにわかるけれど、

その時は分からなかった。

 

それから、

森田由美恵であることが分かって、

いろいろ思い出した。

『潮風の吹く町』は、

なかにし礼作詞 浜圭介作曲であることもわかった。

 

『潮風の吹く町』は、『石狩挽歌』に通じるような曲だけれど、

私は、『潮風の吹く町』が好き。

 

忘れていたのに、今は3番まで歌える。

 

昔、友達と会ったり、買い物をしたりで、

よく、大阪に出掛けた。

大阪駅で、

夫と住んでいる家に帰る電車の来るホーム。

生まれ育った実家に帰れる電車の来るホーム。

いつもそこで少しだけ迷って、

本当は、迷っていたわけではないけれど、

いつも、このまま実家に帰りたいなと、

思った。

 

その時に、頭の中で、

『潮風の吹く町』が流れる。

いつもいつも、

実家に帰りたいなと思って、

それでも、

夫と暮らす家に帰って行った。

それで幸せだった。

 

実家に帰れば、

母がいる。

それはかけがえのないことであったと今は思う。

 

パイナップル。

母の葬儀は家族葬

家族と親戚だけで送りました。

自宅を出棺する時は、近所の方々に

お見送りをして頂きました。

でも、コロナのこともありますが、

派手なことや、人付き合いが苦手だった母には、

とても良いお見送りが出来たと思います。

お花や、お供え物も多くはありませんでしたが、

本当に母のことが好きだった人だけで

見送れたと思います。

母らしい、可愛らしいお葬式でした。

 

お供え物の果物を、

家族や親せきで分けてもらったのですが、

私は、一人暮らしなので、

メロンとパイナップルは要らないな~。

りんごとバナナだけもらおうかな。

と勝手に思っていました。

兄夫婦が分けてくれたのですが、

私の分に、パイナップルが入っていました。

パイナップルを丸ごとなんて、

買うことはないし、

元々果物好きではないので、

少し放置していました。

でも、パイナップルは、早く食べた方がいいというのを聞いて、

切り方もネットで調べて、

頂きました。

 

もう、50年近く前に、パイナップルを食べて

苦い思いをしたことがあります。

それは、兄が多分修学旅行で九州に行って、

パイナップルを買ってきてくれた時の事です。

おそらく、パイナップルなんて缶詰でしか食べたことがなくて、

丸ごとのパイナップルは初めてでした。

 

その時、母はなぜか関与していなくて、

兄と二人で切って食べたのですが、

『はしかい』って分かりますか?

口から喉がはしかくてはしかくて

美味しかったのに、食べた後が不快で仕方ありませんでした。

兄が、

『そういえば、缶詰のパイナップルは穴が開いている』

『芯はたべたらあかんのや。』

 

パイナップルの芯を食べたら、最悪です。

食べる時は大丈夫なのですが、

食べた後の不快なことと言ったら、

50年近く経っても憶えています。

 

今回パイナップルは、

芯を少し多めに切り落としました。

芯のないパイナップルは食べた後も

はしかくなく、美味しかったです。

 

はしかい=イガイガする。

母の亡くなり方。

母の死亡診断書は、

どのように書かれるのだろうと思っていました。

『老衰』

と書かれていました。

それは、きっと母が望んだと思う、

穏やかな亡くなり方でした。

 

ただ、本来は、点滴もしない方が

楽なんだそうです。

点滴をしたために、足はむくんでぶよぶよになっていました。

でも、点滴をしてもらったのは、

私のためです。

私が納得できる時間が欲しかったのです。

それは、後からのこじつけですが、

本来は、点滴もしない自然死が、一番本人にとっては

楽な亡くなり方なんだそうです。

 

これは、あくまでも、もう回復する可能性のない、

高齢の方の場合で、

若い方や、回復する可能性のある方とは

また違います。

 

私は、延命治療をしないことに、

少し納得が出来ていませんでした。

すこし、苦しみました。

でも、延命治療をして、少しでも長生きをして欲しいというのは

私の思いであって、

母の思いではないことに気が付きました。

 

食べられなくなるのは、自然の事。

亡くなる準備をしているだけで、

飲食しないから亡くなるのではなく、

亡くなるから飲食しなくなるのだ。

というのをネットをさまよっているうちに

見つけて、

その一言で、楽になりました。

 

母は、最高の亡くなり方が出来たのではないかと思います。

点滴で少し辛かったけれど、

それは許してもらうとして、

『老衰』って、素晴らしいですよね。

 

そう思います。

そうは思っています。

でも、悲しくて、寂しくてどうしようもありません。

 

 

おかあちゃん、大好き。

今日午前中に、誰もいない実家に行って、

母にお線香をあげて、少し話をしてきました。

どうしても抑えきれなくて、

骨壺を開けて、お骨をひとつ頂きました。

持って帰りました。

 

わんこに、

『今日から、又おばあちゃんも一緒に暮らすからね。』

『おばあちゃんは、前みたいにお散歩には行けないけれど、

お母さんがお仕事の時は、一緒に居てくれるからね。』

と話しました。

 

私は、ちょっとあぶないのだろうか?

でも、明日から仕事にも行くよ。

自分では大丈夫だと思うけれど、

母のお骨をどうしてもそばに置きたかった。

誰にも言わない。

ここにだけ書きます。

私とワンコだけのヒミツです。

 

母には、コロナの中でも、9時間も付き添うことが出来ました。

母は、私のことは忘れているかもしれないけれど、

私はお構いなしに色々話しかけました。

 

そうして思ったのは、

私は、母が大好きだということです。

『おかあちゃん、大好き。』

何べんも伝えました。

絶対に伝わっていると思います。

 

まだまだ時間がかかります。

一人になると、号泣してしまいます。

 

かあちゃん、会いたいよ。

母の旅立ち。

この一ヶ月

色々なことがありました。

そして、

明日、母を見送ることになりました。

 

幸せなことに、

とても満たされた気持ちで見送れそうです。

ありがとうございます。

 

明日を無事終えたら、

ゆっくりといろいろなことを

書かせて頂きたいです。