愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

母に会いたい。

母に会えなくなって、

3ヶ月近くになりました。

母は施設に入っているので、

コロナが終息するまでは、会えないと思います。

認知症なので、電話で話すことも出来ません。

今日は、母の日でしたが、

感謝を伝えることも出来ませんでした。

もっとも、母は私のことは忘れちゃっているので、

会いたいというのは、母のためではなく、

私のためです。

 

おかあさんというのは

特別です。

何か怖い目に遭った時、

『おかあちゃん!』

と叫んだりします。

それは、私の母のような年齢の人でもそうです。

 

この間書いた、

『星の流れに』の曲でも、

『ひと目会いたい おかあさん』

と歌われています。

 

私の母は、いろいろ何か大切そうなことを、

教えてくれるような人ではありませんでした。

そして、私の前に道をつけて、

そこを歩くように示してくれる人でも

ありませんでした。

子供の頃は、それが不満でした。

愛され方が少ないように感じていました。

 

でも、それは大きな間違いでした。

私は、自分自身で、

道を作ることが出来ました。

それは多分、母が考えてそうしたのではなく、

そうしか出来なかったのです。

 

母は、今となっては、

無邪気な人。

不器用な人。

自分勝手で、わがままな人。

であったと思います。

 

そんな母の上を行くわがままを通して来たのは、

他ならぬ私自身。

 

私は、父も母も怖いと思ったことはありませんでした。

怒られて怖いとかはもちろんありますが、

絶対に私が大切に決まっている。

そんな風に思わせてくれました。

昔は、とりたてて幸せな家庭だと思ったことはありませんでしたが、

今思えば、本当に幸せでした。

 

母は、認知症になってからは、

自分が娘時代の記憶の中で生きているようです。

きっと、温かい家庭で、愛されて育ったのでしょう。

 

私も、もし認知症になったら、

父と母と兄と4人家族だった、あの時代に戻れるかもしれない。

認知症になりたくはないけれど、

少し、楽しみにしてもいいかなと思います。