愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

35年前の夏。

図書館で、

『墜落の夏』 吉岡忍

を借りて来て、昨日から読んでいます。

 

35年前の夏、8月12日

私は、帰省するための準備をしていたのか、

ニュースは、夫と暮らしていた部屋で見たような気がします。

 

多分、13日に帰省。

テレビは、日航機墜落事故のニュース一色。

あの時は、父がまだ健在だった。

父と、事故の話をした記憶があります。

 

兄の所に、二人目の子供が生まれて、

しばらくしたころで、

実家は忙しそうだった。

 

テレビでは、坂本九さんの妻の柏木由紀子さんが、

事故現場に向かおうとされていて、

その柏木さんに、話を聞こうとしているリポーターがいました。

 

『一縷の望みを持っていらっしゃるわけですか?』

『もちろんです!』

 

というやり取りを憶えています。

 

500人以上の犠牲者が出て、

そして、その家族や、関係者、友達、

恋人を亡くした人や、妻と子供たちをいっぺんに亡くした人。

あの事故で、

どれほどの人の人生が

変わってしまったのだろう。

 

『大量輸送』により、

大量の不幸を運んでしまった。

 

人間が起こしてしまった間違いが、

ここにもあるような気がします。

 

ゆっくりと本を読んで、

少しでも、何が間違っていたのかを、

知ることが出来るでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

ぎょうざがない。

朝、散歩を終えて、

朝ごはんをワンコと一緒に食べて、

ふと思い出しました。

昨日、仕事帰りに買い物をして、

帰って冷蔵庫に仕舞ったのだけれど、

ぎょうざを仕舞ったおぼえがない。

ぎょうざは18個入りで、300円の

店のオリジナル商品。

それが20%引きになっていたので、

帰ったら、3回分に分けて冷凍しようと思っていた。

今日食べようかなとも思っていた。

 

今日の買い物は、牛乳や本つゆ

食パンを2斤(5枚切りと10枚切り)とか、

結構かさばるものが多かったので、

エコバック2つに詰めて持って帰った筈だった。

 

車の中で、こぼれたのかもしれない。

見に行ったけれど、なかった。

冷蔵庫も、冷凍庫も探したけれど

なかった。

 

くやしい。

 

昨日の夜の内なら、

店に電話して、あったら取りに行ったかもしれないけれど、

相手は生もの、しかも割引になっている。

くやしいけれど、諦めよう。

 

多分、エコバックに詰める時、

重いものを下にして、とかいろいろごそごそしたから、

サッカー台に置いたままバックに入れ忘れたのだろうと思う。

かごは、最後に戻したので、

残っていたら気が付くはず。

 

かごにセットできるエコバックも持っているけれど、

あれは、あんまり好きじゃない。

 

私は、セルフレジも好きではないので、

使わない。

 

忘れ物をしないためには、

気を付けるしかない。

 

しかし、くやしい。

いつも、私が帰るころには売り切れていて、

なかなか買うことが出来なかったぎょうざなのに、

 

念のためにレシートを見た。

 

ぎょうざ    300円

20%引き  -60円

 

と記してある。

買っている。

 

忘れよう。

 

 

 

 

 

あなたに、癒されています。

昨日、

一緒に仕事をするわけではないけれど

休憩時間なんかに

たまに話をする同僚と、

休憩時間が同じで、たまたま二人きりで、

少し話をしました。

 

彼女の噂は、時々耳にしていていましたが、

私にとっては、癒される存在の人です。

 

彼女が、

『今、自分が何処の所属かわからない。』

と言うので、意味が解らなくて聞いてみたら、

急に、レジの担当になったそうだ。

お盆前で、忙しいからだと思うけれど、

『お盆の繁忙期が終わったら、元に戻るんでしょ?』

『わからない。』

 

ちゃんと説明もなしに、そうなったらしい。

レジは、経験があったから、出来るけれど、

これからどうなるのか、

説明してくれないって。

 

こんなことしょっちゅうなんだって。

今まで、いろんなところを転々としていたらしい。

他にもそんな人が居るのかは、

分からないけれど、

同じ店の中での異動って、あまり知らなかった。

 

『この店はそういう店なのか。』

と思って、

『急にそんなこと言われたら、困るね。』

と言ったら、

『私は、あほやから。』

って彼女が言う。

『そんなことないよ。』

あほにはレジの仕事はできないよ。

 

レジの仕事が大変なことはよく知っている。

状況判断が出来る人でないと

なかなか出来ない仕事。

ハンパない量の商品をかごに入れたお客様の、

長い列が出来る。

それだけで、めまいがしそう。

今のレジは、お支払方法も多様になって、

難しいお客さまもいるし、

なかなか大変な仕事です。

 

彼女は、自分があほやから、

都合のいいようにいろいろな所を回されていると

思っている。

 

事実はどうあれ、

そんなことを感じながら、仕事をするのは、

どんなに辛いことかと思う。

多分、私なら耐えられない事かもしれない。

 

彼女は多分、

ずっとそんな思いをしてきたのかもしれない。

そう思うと、悲しくなってきた。

 

でも、彼女は、

そういう状況を受け入れているのだと思う。

誰だって、いろんなことを受け入れながら、生きている。

受け入れないと、前に進めない。

受け入れないと、楽にはなれない。

 

一緒に仕事をしてみないと、

分からないことはたくさんある。

彼女についても、いろいろ耳に入っている。

 

それはでも、自分だってどうだかわからない。

何かを言われているかもしれない。

そんなことを考えていたら、きりがない。

 

私は、その彼女のことが、

好きだと思う。

それは、素直に感じること。

私に出来ることは、

また、話す機会があれば、

話したいと思う。

何の話でもいい。

その時話したくなったこと。

私は、彼女に癒されている。

一緒に居ると、ゆったりとする。

私のそんな気持ちを、いつか感じてくれればいいなと思う。

 

 

 

 

 

ありがとうと言い続けて。

今日から、新車になりました。

 

2~3日前から、13年間お世話になった車への

思いがあふれて来て、

今日は、最後の時間を過ごす。

時間にすればほんの10分ほどなのですが、

運転中に、

『ありがとう』を言い続けました。

本当にありがとう。

いつも私を運んでくれて、

辛い時も見守ってくれて、

 

母が認知症で、私を忘れてしまい、

家を追い出されて

行くところがなかった時も、

一緒でした。

思い切り泣かせてくれて、

本当にありがとう。

 

愛犬の病院に付き合ってくれて、

毛だらけになっても、

文句ひとつ言わず、

黙々と走ってくれました。

 

さっきまで、一緒だったのに、

もうあなたはいません。

 

でも、またどこかで、

この宇宙の片隅で、

あなたは確かに存在している。

形を変えても、

どこかで、会えることを

信じています。

 

全ての、生き物、草花、石も土も砂も、

形を変えて循環しているのだと

私は思っています。

人間も同じ。

車も同じ。

そう思うと、感謝しかありません。

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

ステキなのですよ。

先日、百恵さんのパーチワーク作品の本を借りて来て、

読んでいたら、

久々にやる気スイッチが入りました。

5~6年前から温め続けていた作品を

仕上げたいと、

重かった腰が、『ひょい』と簡単に上がり、

作品を仕上げるまでの最も苦手な作業である、

アイロンがけとしつけをやっつけることが出来ました。

 

初めの構想では、周りにボーダーをつけて、

もっと大きな作品にする予定だったのに、

5年位前に、やる気スイッチが急に切れてしまい、

大きな作品にするのは断念。

中くらいの作品になりそうです。

 

しつけがほとんど終わった状態で、

ごく一部をアップします。

コーヒーカップのパターンを

120枚つなげています。

 

コーヒーカップに使った布は、全てフィードサックです。

大切に買いためていたフィードサックを

ふんだんに使って、大切な一枚に仕上げます。

 

やっぱり、

周りが寂しいし、もったいないかなと思い、

何か工夫をして、

周りを少し盛り上げたいです。

 

やっぱり、

パッチワークは大好き。

百恵ちゃんも始めてから30年位になるそうです。

私も同じくらいです。

(百恵ちゃんとは同い年です)

ライフワークに、

と思っていたのに、

このところ手が止まっていました。

ミニマリストになりたい。』

とか、いろいろ考えて、

作品を残して行くことに疑問を感じてたのが

手が止まったきっかけかも知れません。

たくさんの布を、捨てようと思ったこともありました。

本は、かなり捨ててしまいました。

 

私は、作品展のために、とかの芸術としての作品作りや、

教室に通うことは、

もうないかもしれませんが、

これからも、自由に作りたいなと思います。

 

ちょっとだけ、

作品の一部をお見せします。

もったいぶって、一部だけ(笑)

 

f:id:kanakohikariyou:20200805073828j:plain

 

 

 

 

甘い生活。

自分に厳しかったとは思っていませんが、

とにかく、時間や約束を守らない人に

むしょうに腹が立つことで、

『人間ができていない』

事を自覚しつつ、

どうにもなりませんでした。

 

このところ、歳を重ねたせいか、

少しずつ変化してきました。

『正しいこと』はなんぞや?

といつも思っているくせに、

『正しいこと』なんてないんだ。

と思っているくせに、

時間は守るもの。

約束は守るもの。

と決めつけていました。

 

『他人に優しく、自分に甘く』

生きればいいと何かで読んで、

確かに、

他人に対しては、感謝だけして、

優しくしていれば、それでいいんだと分かりました。

そして、『自分に甘く』

生きていくことにしました。

 

時間に追われる生活をしない。

むやみに我慢をしない。

計画を立てない。

 

でも、時間や、約束を守ることは、

自分に優しいことでもあるので、

これまで通り。

 

自分と比べて、

人がちゃんとしていないから、

いらいらしていたみたいです。

勝手な思い込み。

これを手放したら、きっと楽に生きられそう。

 

昨日も、あまりにも同僚の仕事が遅かったので、

ブチ切れそうになったのですが、

我慢するのではなく、

『人には優しく、自分に甘く』

と唱えたら、楽になりました。

 

この調子で生きていこう。

 

f:id:kanakohikariyou:20200803095808j:plain

最近のお気に入りの飲み物です。

炭酸水は、毎日1~2本飲んでいます。

48本を飲み切り、もう一度注文しました。

これは、無糖です。

抹茶とココアは、

冷たい牛乳と混ぜて、シェイクしたり、氷を入れて飲んでいます。

 

長年、甘い飲み物は飲みませんでした。

飲まないうちに、甘い飲み物は

嫌いなんだと思っていましたが、

そうではなかった。

 

体によくない。

太るから。

と我慢していただけかもしれない。

 

甘い生活を始めたので、

甘い飲み物も解禁です。

抹茶オレ アイスココア

お勧めです。

 

 

 

 

 

コロナに感染しても、後悔しない外出って?

不要不急の外出は控えることが

言われますが、

結局は自己判断になります。

それぞれの考え方次第で、

どうにでも解釈できます。

 

私は、今かなり

どうしようか悩んでいます。

夫の法事です。

これは、世間的にはおそらく行っても良い

事例だと思うのですが、本当に迷っています。

夫の実家はもうないので、

本来は私がすべきことなのですが、

事情が事情なので、

息子夫婦にお願いしています。

 

私は、関西に住んでいて、息子も関西に住んでいます。

でも、結構遠くて、

私が、大阪に出て、そこからまた同じくらい時間のかかるところです。

 

大阪が、ネックです。

高速を使って、車で行くことが一番良いのですが、

大阪市内を自分の運転で走った事がないので、

自信がありません。

そうなると、バスや、電車となります。

これが、どうしたものか考える

一番の悩みどころです。

 

私の個人的な定義は、

『外出をすることで、もしコロナに感染しても、

後悔しないような外出ならしてもよい。』

であると思われます。

 

そんな外出がありますか?

コロナに感染しても良いと思われるような外出?

 

身内が危篤だと言われても、

今は、お見舞いに行っても、会わせてもらえないでしょう。

近い病院なら行くかもしれないけれど、

遠かったら、行かないと思います。

 

このところ、感染が増えて来て、

とうとう、職場関係で感染された方がいます。

 

ますます、職場は厳しくなり、

外出の自粛が求められました。

 

私は、本当にどこにも行っていません。

スーパーとドラッグストア以外は、

動物病院と、美容院、車の購入関係。

それ以外は、本当に出かけていません。

 

ここまで頑張ったのに、

大阪経由で電車に乗って、疲れて、

日帰りで帰って来ても、

何もよいことは無いように思います。

 

でも、ことは、『夫の法事』です。

当日までに、少しは落ち着いてくれることを

願いますが、

絶対に感染したくない。という思いが強いので、

答えは出ているように思います。

 

こうなると、

夫に対しての申し訳なさが

ネックですね。