愛されるために生まれてきた

愛する人を亡くして 愛されていたことに気が付きました。

終りに見た街。

終戦記念日が近いからというわけでは

ないと思うのですが、

以前に観た『終りに見た街』という

テレビドラマのことを思いだしていました。

今は、何でもネットで調べられるので、

調べてみたら2005年のドラマでした。

しかし、それ以前の1982年にもドラマになっていました。

それは、知りませんでした。

 

1982年版では、

細川俊之が主演で、その友人になべおさみ

2005年版では、

中井貴一が主演で、その友人に柳沢慎吾

ふぞろいの林檎たち

を思い出す配役でした。

原作は、やっぱり山田太一

 

とても衝撃的なドラマでした。

1944年にタイムスリップした主人公と

その家族、その友人の物語です。

 

自分たちは、戦争に負けることを知っている。

東京大空襲が起こることを知っている。

そんな中で、どんどんその時代に洗脳されていく

若い子供たち。

『お父さんは間違っている。』

とまで言い出す始末です。

恐ろしかったです。

 

でも、本当のことって、

一体なんなのでしょうか?

 

今の時代も、みんなが

本当のことを、見失っている気がします。

かくいう私も、勿論そうです。

コロナコロナコロナ

先のことは、誰にもわからないのです。

 

今もし、

30年も未来に生きている人が、

突然目の前に現れて、

コロナがどうなるかを教えてくれて、

そんなに怖がらなくてもいいとか、

逆に、コロナで世の中が大きく変わるから、

こうしておいた方がいいとか、

もし、教えてくれたとしても、

信じる人が何人いるでしょうか。

 

本当にこれからどうなるかなんて、

分からないのです。

 

1982年版の『終りに見た街

のラストシーンをYouTubeで観ることができました。

1944年にタイムスリップしていた細川俊之演じる主人公が、

焼け野原で倒れているシーンからでした。

向こうに見えるのは、折れ曲がった東京タワー。

今が1944年ではないことに気が付きます。

多分、ここで、彼の命は終わってしまうのでしょう。

『今が、何年か』

ということは、分かりませんでした。

でも、知りたかったのです。

その気持ち、わかります。

 

2005年版では、

同じようなシーンで、

中井喜一が倒れていて、

やっぱり

『今が、何年か』

ということを知りたいと思います。

今、息絶えようとしている時、

1944年ではない、20……年と日付の入った新聞が

ゆらゆらと揺れていたような映像だった気がします。

でも、何年なのかはわからなかった。

とてもとても、気になりました。

 

私たちは、地球が、何年に終わってしまうのか、

知りたいのだと思います。

 

でも、誰かが言っても、

やっぱり信じない。

 

未来のことは、

わかる筈がありません。

 

余談ですが、

私は、細川俊之が東京タワーを見て、

今が1944年でないと気が付くシーンで

思い出したのは、

猿の惑星』で、

最後に海岸を馬に乗って(逃げている?)

主人公が、

海岸の砂に埋もれた『自由の女神』を見て、

『ここは、地球だったのか』

と驚いているシーンです。

 

映画を観ている時、高校生だった私は、

映画館で、

『地球に決まってるじゃん。』

と思ったことも、思い出しました。

 

そして、YouTubeで、

猿の惑星』を観る。

という、ループにはまりながら、

このブログを書いています。

 

(『おわり』はわたしはいつも『終わり』を使っていますが、

ドラマのタイトルが『終り』となっていたので、『終り』としました。)